今回は、植田和男氏の経歴や学歴についてまとめました。
2023年4月から日銀総裁に植田和男氏が起用されることが報じられました。
これまでは黒田東彦総裁が2013年から10年にわたり務めていましたが、
新たに植田和男氏にバトンタッチするようです。
日本の金融や経済を直接支配する人物として、それに足る人物であるかどうか気になりますよね。
そこで今回は、新たに日銀総裁の座に着く植田和男氏の経歴についてまとめていきます!
植田和男の学歴
植田和男氏は筑波大学附属駒場高等学校(通称・筑駒)を卒業後、東京大学理学部に進学。
理学部を卒業後は経済学部に学士入学し、そのまま東京大学大学院に進学しました。
東大の大学院を卒業後はマサチューセッツ工科大学大学院に進学し、博士課程を修了しました。
高校:筑波大学附属駒場高校
↓
大学:東京大学理学部→経済学部
↓
大学院:東京大学大学院→マサチューセッツ工科大学大学院
高校は筑波大学附属駒場高校(筑駒)
新日銀総裁・植田和男氏は1970年に筑波大学附属駒場高校を卒業しています。
筑駒は中高一貫校ですが、
中学の偏差値が73、高校の偏差値が78で日本トップクラスの学力を誇る学校です。(偏差値は2023年現在)
筑波大学附属駒場中学・高等学校は東京都世田谷区の池尻にあります。
高校生クイズの頂上決戦で開成高校や灘高校とかとよく見る名門中の名門で、
カタールWカップで一躍脚光を浴びた日向坂46・影山優佳さんも筑駒の卒業生です。
大手財閥系企業の会長や学者、政界の大物らが筑駒を卒業しています。
ちなみに現・日銀総裁の黒田東彦氏も筑駒を卒業生です。
大学は東京大学理学部&経済学部
植田和男氏は東京大学理学部を卒業したのち、経済学部に進学しています。
東京大学理学部:偏差値67.5
東京大学経済学部:偏差値67.5
理学部はふつうに4年で卒業し、学士入学した経済学部は1年で卒業しているので計5年間通っていました。
大学院は東大&マサチューセッツ工科
植田和男氏は東大を卒業後、1975年に東京大学大学院に進学し、経済学についてさらに深く研究を重ねました。
経済学部を1年で卒業すると、植田和男氏はマサチューセッツ工科大学大学院に進学するために渡米しました。
植田和男氏がマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院時代の経験について語っています↓
当時まだMITの大学院生だった私は、ドーンブッシュが後に『金融研究資料』に掲載された白川前総裁のマネタリーアプローチによる為替レート分析結果の(日本語で書かれた)表を授業の中で説明するのを聞いて、強い刺激を受けたのを覚えている。やはりそのころ、組織立ち上げに深いかかわりを持っていた鈴木淑夫さんが、MITを訪れモジリアーニ教授と対談するところに呼ばれて二人の話を聞かせてもらう機会があった。確か2度目の石油危機をうまく乗り切りつつあった日本の金融政策について明快な説明をされていた。また、私自身が日本銀行を最初に訪問したのも特別研究室だった
引用:金融研究所40年を振り返って:マクロ経済・金融政策分析の観点から
マサチューセッツ工科大学は世界でトップ3に入る大学であることから、その大学院がいかにハイレベルな教育機関かは説明不要でしょう。
1980年に同大学院の博士課程を修了したことが、植田和男氏の最終学歴です。
植田和男の経歴
ここからは大学院卒業後の植田和男氏の経歴についてお伝えしていきます。
植田和男氏は1980年に大学院を卒業したから37年間大学で教職をしていました。
1980年~2017年:大学の教授、学者
教職
1980年 カナダブリティッシュコロンビア大学経済学部助教授
1982年 大阪大学経済学部助教授
1989年 東京大学経済学部助教授
1993年 東京大学経済学部教授
2005年 - 2007年9月 東京大学大学院経済学研究科長
2005年 - 東京大学大学院経済学研究科教授
2017年 - 東京大学名誉教授
2017年 - 共立女子大学教授
学外における役職
- 1985年 - 1987年 大蔵省財政金融研究所主任研究官
- 1998年 - 2005年 日本銀行政策委員会審議委員
- 2005年 - サントリー学芸賞政治・経済部門選考委員
- 2008年 - 日本政策投資銀行社外取締役
- 2011年4月 - 2012年6月 日本経済学会会長
その他、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)運用委員長、日本銀行金融研究所特別顧問を務める。
引用:Wikipedia
「経済学の教授やってばかりで、銀行で働いた経歴ないじゃん!」
と感じるかもしれませんね。実際、現・日銀総裁の黒田氏の経歴とは全く違います。
以下、現総裁・黒田氏の経歴
- 1967年(昭和42年)4月 - 大蔵省入省(大臣官房秘書課配属)。
- 1969年(昭和44年)4月 - 大臣官房付(オックスフォード大学留学)
- 1971年(昭和46年)7月 - 理財局国債課企画係長[18]
- 1972年(昭和47年)7月 - いわき税務署長
- 1973年(昭和48年)7月 - 国際金融局企画課長補佐(銀行)心得[19][20]
- 1974年(昭和49年)7月 - 国際金融局国際機構課長補佐(経済統合)[21]
- 1975年(昭和50年)6月 - 派遣職員(国際通貨基金)
- 1978年(昭和53年)7月 - 主税局調査課長補佐(総括・内国調査)[22]
- 1980年(昭和55年)7月 - 主税局税制第二課長補佐
- 1981年(昭和56年)7月 - 大臣官房企画官兼主税局総務課
- 1984年(昭和59年)7月 - 三重県総務部長
- 1986年(昭和61年)6月 - 大臣官房参事官(大臣官房調査企画課担当)[23]
- 1987年(昭和62年)7月 - 国際金融局国際機構課長
- 1988年(昭和63年)12月 - 大蔵大臣(村山達雄)秘書官事務取扱
- 1989年(平成元年)8月 - 主税局国際租税課長
- 1990年(平成2年)1月 - 主税局税制第一課長
- 1991年(平成3年)6月 - 主税局総務課長
- 1992年(平成4年)7月 - 大臣官房参事官(副財務官)
- 1993年(平成5年)7月 - 大阪国税局長
- 1994年(平成6年)7月 - 大臣官房審議官(国際金融局担当)
- 1995年(平成7年)6月 - 国際金融局次長
- 1996年(平成8年)7月 - 財政金融研究所長
- 1997年(平成9年)7月 - 国際金融局長
- 1999年(平成11年)7月 - 財務官
- 2003年(平成15年)
- 1月 - 財務省 退官
- 3月 - 内閣官房参与
- 7月 - 一橋大学大学院経済学研究科教授 就任
- 2005年(平成17年)2月 - アジア開発銀行総裁 就任
- 2013年(平成25年)
- 3月 - アジア開発銀行総裁 辞任
- 3月 - 第31代日本銀行総裁 就任
- 2018年(平成30年)4月 - 日本銀行総裁 再任
黒田氏は銀行や税務署、政治などたくさんの経験やキャリアを積んで日銀総裁となりました。