本記事では、木原誠二の嫁のモデル時代の画像や名前、年齢などの情報を詳しくまとめています。
木原誠二の愛人との不倫ゴシップが引き金となり、妻である木原郁子の元夫の不審死が話題になっていますね!
普段表には出ない木原誠二の嫁・郁子ですがどのような人なのでしょうか?
調べたところによると、元銀座の売れっ子ホステスで、その前はveryの読者モデルをやっていたのだとか。
顔画像や名前、年齢などの情報も判明していますので、
今回は木原誠二の嫁・郁子に関する情報を詳しくまとめました!
木原誠二の嫁の名前/年齢/顔画像など
木原誠二の嫁・郁子
こちらが木原誠二の嫁の顔画像です。とても美人ですね!
嫁の名前は木原郁子(いくこ)で、旧姓は舩本(ふなもと)です。
名前:木原郁子(旧姓:舩本)
芸名:URAN
年齢:44歳(1979年生まれ)
出身:愛知県名古屋市
職業:読者モデル→銀座のホステス→政治家の妻
芸名は『URAN』
読者モデル時代は『URAN(ウラン)』という芸名を使用していたようですが、雑誌によっては『舩本郁子』という本名で書かれていたりしてバラバラです。
年齢は44歳
誕生日は不明ですが、1979年生まれであることが週刊誌に書かれていたため、今年で44歳になります。
出身は名古屋
後述する父親の舩本賢二さんが愛知県名古屋市で警察官をやっていたため、郁子さんも名古屋市出身である可能性が高いと考えられます。
現在は政治家の妻
2023年現在の職業は不明ですが、2014年に木原誠二さんと結婚しているため、仕事というより「政治家の妻」としての活動と家事・子育てに専念しているのではないでしょうか。
木原誠二の嫁は元very読者モデル【顔画像】
木原誠二の嫁・郁子は20年以上も前に読者モデルとして芸能活動をしていました。
木原郁子の読者モデル時代の顔画像がこちら!
こちらは1999年10月にネクストレコードから発売した木原郁子さんのデビューシングル『おせっかい』です。
読者モデルでありながら、歌手としてもデビューしていたんですね!
ブックオフオンラインでなんと新品価格968円/中古価格550円で売っていました。意外と値段がついているようです。
この雑誌は1997年9月号の『Cawaii』に掲載された写真です。今から26年も前の貴重な写真ですね。
右が木原郁子です。
小さくて見ずらいですが、右ひざのあたりに「舩本郁子」と本名が書かれています。
VERYの木原郁子が美人すぎる
30代のママ向けの雑誌『VERY』の読者モデルとして木原郁子さんが掲載されていたのですが、めちゃくちゃ美人です。
この時点で42歳なので、2021年ごろに撮影された写真であることが分かります。
銀座のホステスももう辞めていますが、
こんな美人なホステスがいたらそりゃ売れますね!
木原誠二の嫁は元銀座のホステス【顔画像】
木原誠二の嫁・郁子さんは銀座のクラブでホステスをやっていました。
お店の名前は『宵待草(よいまちぐさ)』で、銀座の金田中ビルにあるお店です。
金田中ビルの外観はこんな感じ。
もともと『金田中』という割烹料理屋が所有していたビルであることから『金田中ビル』という名称になっているが、このビルは他にも多くのクラブがテナントとなっています。
そのうちの一つが木原郁子さんが勤務していた『宵待草』ですが、
表立って看板が出ていないので分かりにくいどころか、グーグルマップで検索してもヒットしません。
↑1階~最上階のどこを見ても『宵待草』の看板はない
↑【宵町草 銀座】で検索してもヒットせず
閉業してしまったのか?
そう考えたが、閉業したという情報もない。
聞くところによると、『宵町草』は銀座ドルフィンの系列店で大物政治家御用達のクラブであり、一般人がフラッと入るようなお店ではない。
麻生太郎たちが宵町草で豪遊していたという報告書が上がっていることや、
竹中平蔵と統一教会の資金源である京橋グループの植田顕二が会食していたという情報もある。
木原誠二もここに通っていて当時の舩本郁子さんに出会いました。
大物著名人の隠れ家のようなクラブであると考えれば、表に看板を出していないことや検索してもヒットしないことは納得がいきます。
モデルとしては売れなかったが、さすがは元芸能人。
木原郁子は大物政治家が集うこのクラブでナンバー1ホステスだったと言われています。
残念ながらホステス時代のお写真は一枚もないが、このVERYの読者モデルをやっていた時よりも数年若くした感じを想像するとホステス時代の木原郁子さんになるでしょう。
銀座のホステス時代:2000年~2014年ごろ(21歳~35歳)
VERYの読者モデル時代:2021年ごろ(42歳)
木原誠二と嫁の馴れ初めや結婚した理由は?
ここでは木原誠二と嫁・郁子の馴れ初めについてお伝えしていきます。
2008年に衆議院議員1年目の木原誠二が銀座・宵待草に訪れたことで嫁・郁子と出会いました。
木原誠二は当時38歳で、嫁・郁子は29歳。
2006年に嫁・郁子の元旦那・安田種雄が不審死してまだ2年後のことである。
そして出会ったその年から交際が始まりました。なんとゾッコンだったのは嫁・郁子の方でした。
08年のある日のこと。彼女は劇的な出会いを引き寄せる。客として店に来た男は、東大出身の元財務官僚。前途洋々たる自民党の衆院議員一回生だった。
眼前に現れた男性は、異世界の住人だった。05年9月の郵政選挙で初当選を果たし、将来を嘱望されていた木原氏である
09年9月、港区赤坂のカラオケスナックに美声が谺した。
「赤松さんの後援会関係者が、銀座のホステスだったX子を呼んだのです。彼女はめちゃくちゃ歌が上手でパーティは彼女のおかげで大いに盛り上がった」X子さんの子供は7歳と5歳。同店関係者が「子供が小さいのに大丈夫か」と尋ねると、彼女はこう答えたという。
「木原くんが子守しているから余裕です」
2人が交際をスタートさせたのは、その前年。浪人中、彼女は木原氏の生活を支えていた。彼の役割は子供のお守り。娘さんは木原氏を『パー』と呼んで懐き、木原氏が通っていたテニスクラブにも一緒に通うように。
引用:週刊文春
当時、嫁・郁子には元旦那との間にできた子供が2人いて、シングルマザーでホステスをやっていました。
選挙に落選し“浪人”していた木原誠二が2人の子供の面倒を見て、木原誠二の生活費は郁子が出していました。
郁子は当時ナンバー1ホステスであり、月に200万円以上稼いでいたという。
実は嫁・郁子以外に2人彼女がいて、木原誠二は三股している状態だった。
愛人の子供の七五三詣に訪れた木原誠二
しかも嫁・郁子は当時“本命”ではなく、他の彼女と結婚を意識して別れを告げたところ「絶対に別れない!」と押し切り、逆に当時木原誠二の“本命”だったその女と別れさせたという。
その後、嫁と別の女が同時期に木原誠二との子供を妊娠したが、嫁の方が半年早かったという理由で木原誠二は今の嫁と結婚することに決め、別の女は「愛人」というポジションになりました。
木原誠二は愛人にも生活費を渡しており、そのことは嫁も承知しているという。
木原誠二と嫁が結婚したのは2014年です。
木原郁子の父親は元ボクサーで警察官
木原誠二の嫁である木原郁子の父親は元ボクサーで警察官の舩本賢二であることが判明しています。
舩本賢二は元警視庁警部で、三重県桑名市から『瑞宝単光章』という叙勲を受賞してます。
名前:舩本賢二(ふなもとけんじ)
年齢:73歳
出身:三重県四日市市
学歴:四日市高校→法政大学・経済学部経済学科
職業:警察官/マンションサポーター
四日市高校時代は野球部で夏の甲子園に出場。
法政大学では体育会ボクシング部に入部し、昭和45年の『全日本アマチュアボクシング選手権』でウェルター級3位になっています。
木原誠二の嫁・郁子の父親である舩本賢二は、Facebookから1968年に四日市高校を卒業していることが書かれているため、その時点が18歳だとすれば2023年現在は73歳ということになります。
法政大学経済学部を卒業後に警察官になっていますが、巡査部長という下から2番目の役職を経ているため、国家公務員試験に合格していない「ノンキャリア組」として警察としてのキャリアをスタートしていることが分かります。
舩本賢二さんは最終的には警視庁の『警部』という役職でキャリアを終えていますが、『警部』は警察のキャリアでは真ん中ちょい下です。
お世辞にもエリート街道を突っ走ったとは言えませんが、
70歳を超えた今でも警察官として勤務されていると思われるため、尊敬すべき人物だと言えますね!
Facebookには2019年から『マンションサポーター』という仕事もされていることが記載されています。
木原誠二の嫁・郁子が舩本賢二の娘だと判明した根拠は、
- 舩本賢二のFacebookの家族構成に『Ikuko Funamoto』と書かれていたこと
- 文春記事に木原誠二の嫁の父親が警察官だと書かれていたこと
です。