2023年8月23日、慶応義塾高校が107年ぶりに甲子園優勝を果たしました!
「坊主を強制しない」「日焼け止めを塗っていて色白の球児がいる」「1日2時間の練習」
などこれまでの強豪野球部の常識を覆す慶応高校が全国制覇するという異例な大会となりました。
そんな慶応高校ですが、最も注目を浴び話題になったのは清原和博さんの息子ですね!
清原さんの息子で次男の清原勝児選手は、スタメンではなかったものの代打で出場し球場を沸かせていました。
実は清原勝児選手、留年していて一人だけ学年が違うんです!
今回は清原勝児選手がなぜ留年したのか。その留年理由について詳しくお伝えしていきます!
清原の息子・勝児は留年して1年生を2周した
清原の息子(次男)の勝児選手
名前:清原勝児(きよはらしょうじ)
年齢:18歳(2005年5月1日生まれ)
出身:東京都港区
兄弟:次男
学歴:慶應幼稚舎→慶應横浜初等部→慶應義塾中等部→慶應義塾高等学校2年生
野球:ポジションは一塁手/右投げ右打ち/身長175㎝体重80kg
清原和博さんには2人の息子がいますが、2人とも幼稚園からの生粋の慶應生であり、幼少期から野球に打ち込んでいます。
今年の甲子園に出場し、見事優勝したのは次男の清原勝児選手。
身長は175㎝と大柄ではないものの、下半身が太くしっかりしていてパワーヒッターです。
清原勝児の2ランホームラン@秋季関東大会
さて、そんな清原の息子・勝児選手は慶応高校を留年しています。
留年というと、卒業できずに3年生を2回やるようなイメージかもしれませんが、違います。
清原勝児選手は1年生のときに進級できず、留年して1年生を2回やっていたのです!
高校生活自体は3年目になります。
普通なら1年生→2年生→3年生と進級していくところを、清原勝児選手は1年生→1年生→2年生という感じで進んでいっています。
なので2023年8月現在は2年生であり、来年4月から3年生。
再び留年するようなことがなければ2025年3月に慶応高校を卒業します。
清原の息子・勝児の留年理由は成績不振
清原の息子・勝児選手はなぜ留年をしてしまたのでしょうか?
その理由を端的に言えば『成績不振』ですが、成績不振になってしまった理由を深堀ると…
- 慶応義塾高校は偏差値76の超ハイレベルな高校であること
- 容赦なく留年させる厳しいシステムであること
- 清原勝児はプロ野球選手を目指していて野球に打ち込みすぎたこと
この3つのポイントがあげられます。
慶応高校は県内最高の学力レベル
慶應義塾高等学校
まず、慶応義塾高校は言わずと知れた名門校であり、2023年現在の偏差値ランキングは神奈川県1位/全国10位である。
慶応高校の偏差値:76(神奈川県1位/全国10位)
もはや入れるだけで十分凄いし、留年せずストレートで進級&卒業するのも簡単ではない。
容赦なく留年させるシステム
清原の息子・勝児選手が通っている慶應義塾高校はちょっと特殊なシステムをしてます。
一般的な高校の場合、内申点が各教科5段階で評価されていて、一つでも『1』があると留年になるという仕組みのはずです。
慶應義塾高校の場合は各教科10段階で評価され、平均値が5.5を下回ると留年になるというシステムになっています。
慶應義塾高等学校
「赤点を回避すればとりあえずOK」みたいな一般的な高校とは違い、慶應義塾高校はこのシステムにより留年する生徒をバンバン排出しているわけです。
さらに慶応高校は「赤点なら補修で再試験」みたいな救いは一切ない。
慶應義塾は、授業態度や提出物よりも試験やレポートの評価を重視します。他校だと赤点でも補習を受けさせたりして仮進級させますが、うちは手厚いサポートはない。なので、全体評価がボーダーラインより下だったら“点が足りないからもう1年頑張りなさい”と、あっさり留年が決まります。毎年1クラスに1人くらいは留年する生徒が出ているんですね
引用:Number web
今人気なドラマ『VIVANT』を手掛けている福澤克雄監督(59)が慶應義塾高校生だったころは、学年で10人くらい留年生がいたという。
近年でもクラスで1人は留年する人がいるそうです。
これは偏差値75オーバーの他の高校と比較しても多い方だろう。
清原勝児選手もこのレベルについていけなくなり留年してしまったと思われます。
清原の息子はプロ野球選手を目指している
清原の息子・勝児選手が留年してしまった理由として、プロ野球選手を目指していたというのも挙げられるでしょう。
勝児には夢がある。
「プロ野球選手になって、活躍したい。もちろん、大学を経由することにはなりますが……」
引用:NEWSポストセブン
週刊誌記者のインタビューでこのように夢を語っていました。
プロを志し、甲子園で優勝するほどの強豪校で努力を続けてきたので、彼が野球にささげてきた時間やエネルギーは相当なものだったはずだ。
上述のように
- 偏差値76のハイレベル
- 容赦なく留年させるシステム
のなかでプロ野球選手を目指すほど野球に打ち込んできたら、留年してしまうのも納得です。
清原の息子は留年で1回多く甲子園出れる?
気になるのは清原の息子・勝児選手は留年したことで1回多く甲子園に出場できるのか?ということ。
厳密には春・夏で2回甲子園出場のチャンスが多く回ってくるわけですが、
結論を言うと清原勝児選手は来年度は大会に出場することはできません。
高校野球連盟の規則では、留年したとしても3シーズンしか大会に出場できないと決まっているからです。
清原勝児選手は今2年生ですが、高校生活は3年目であり3シーズン目。
なのでこれで高校野球は引退ということになります。
高校卒業まで1年半という期間が空いてしまいますが、今後については…
「大学まで穴埋めできない1年半の空白ができてしまいますが、野球部に残ったり、クラブチームの練習に参加したりするなど色々な選択肢がある。そこは今後、本人とご家族で話し合っていくことになりますね」
引用:NEWSポストセブン
野球部の練習に参加し続けるか、クラブチームに加入するかという選択肢で話し合っていくという。
清原勝児選手は「大学に進学する」とは自分で決めているものの、その先にプロ野球選手になることを目指している。
なのでこの1年半という空白の期間は痛いが、全く野球ができないわけではないことは救いか…。
清原の息子は2人いる!長男・正吾は慶大生
長男・清原正吾
清原和博さんには息子が2人います。
長男:清原正吾
次男:清原勝児
次男・勝児選手はこれまで詳しくお伝えしてきたとおりです。
そして長男・清原正吾選手は慶應義塾大学の3年生で野球部に所属しています。
名前:清原正吾
年齢:21歳(2002年8月23日生まれ)
出身:東京都港区
現在:慶應義塾大学商学部の3年生/野球部に所属
野球:右投げ右打ち/外野手/身長186kg・体重90kg
清原の長男である清原正吾選手は幼稚園~大学までずっと慶應義塾に通い続けている生粋の慶應生です。
小学校時代は野球をやっていましたが、中学校ではバレーボール部に入り、高校ではアメフト部に入っていました。
高校時代アメフト部だった清原正吾
そして大学に進学し再び野球部に入りました。
慶應義塾大学の野球部は『六大学野球』の一つに含まれ、大学の野球部としてはかなり名門です。
6年のブランクがあるのに、そんな名門野球部でやっていけるのか…?
慶応大野球部の監督は清原正吾選手を高く評価しています!
堀井監督によると、清原は想定より1年早くレベルアップしているという。
「Aチームのオープン戦でスタメン出場ができるレベルには到達しています。技術的には身のこなしが良く、スローイングが得意ですが、持ち味はやはり長打力。飛ばす能力はチームで1、2番だと思います」
引用:4years.
ただ3年生になった今、まだスタメンで起用されることはなく、代打でちょこちょこ試合に出ているくらいです。
2022年秋季リーグ戦:1打数0安打
2023年春季リーグ戦:8打数1安打
慶應義塾大学の公式プロフィールには『外野手』と記載されていますが、
ネットニュースでは『内野手』と表記されており、ブルペンでキャッチャーをやっていることも分かりました。
なので今のポジションは控えのキャッチャーかもしれません。